秦王子嬰の正体・完結篇

(ここから先はただの戯言なので読まなくても問題ないし、真に受けられても困ります)


思うに、秦王子嬰が始皇帝の孫という説と始皇帝の弟という説はどちらかが誤りだと思うから色々と悩むことになるんだと思う。

つまり、どちらも間違っていないと考えるのが一番スッキリする。


秦王子嬰は2人いたんだろう。
趙高は「秦王は秦王の血縁に」を標榜する一派の支持を得るため、呂氏と疑われる始皇帝の子孫を排除できる始皇帝の弟の子嬰を立ててみたけど、始皇帝派の反発があって結局始皇帝の孫の子嬰に代えざるを得なかったとか。(順番が逆かもしれないが)
世代も違うし、同じ名前の公子がいたとしてもそこまで不思議じゃない。
(もちろん、一方は別の名前だったけど司馬遷その他が混同してしまった可能性もある)


こう考えれば、『史記』における子嬰の血縁についての一見矛盾する記述は基本的に嘘(誤り)ではなかったことになる。
誤っていたのは、秦王子嬰が一人ではなかったということが抜けていた点だけである。