秦王子嬰の正体3

http://d.hatena.ne.jp/T_S/20100502/1272727354のコメントで書いた「ちょっと引っかかる事」について。

先に言っておくと大したことではないので、いないとは思うが期待した人はごめんなさい。

閻樂歸報趙高、趙高乃悉召諸大臣公子、告以誅二世之狀。
曰「秦故王國、始皇君天下、故稱帝。今六國復自立、秦地益小、乃以空名為帝、不可。宜為王如故、便。」
立二世之兄子公子嬰為秦王。
以黔首葬二世杜南宜春苑中。
令子嬰齋、當廟見、受王璽。齋五日、子嬰與其子二人謀曰「丞相高殺二世望夷宮、恐群臣誅之、乃詳以義立我。我聞趙高乃與楚約、滅秦宗室而王關中。今使我齋見廟、此欲因廟中殺我。我稱病不行、丞相必自來、來則殺之。」
高使人請子嬰數輩、子嬰不行、高果自往、曰「宗廟重事、王柰何不行?」子嬰遂刺殺高於齋宮、三族高家以徇咸陽。
(『史記』秦始皇本紀)

子嬰既位、患之、乃稱疾不聽事、與宦者韓談及其子謀殺高。高上謁、請病、因召入、令韓談刺殺之、夷其三族。
(『史記』李斯列伝)

上の秦始皇本紀では「子嬰與其子二人」、下の李斯列伝では子嬰は「宦者韓談及其子」と、共謀して趙高を暗殺したという。

秦始皇本紀では宦者韓談の存在がスルーされている。
一方、李斯列伝では「其子」が子嬰の子とも宦者韓談の子とも読める。

子嬰を始皇帝の弟とする李斯列伝では、「其子」が子嬰の子かどうか曖昧なままであり、一方で明らかに子嬰の子としている秦始皇本紀では子嬰が始皇帝の孫となっていて年齢的に無理が生じている。


上手く言えないのだが、なにか引っかかる。
特に、より詳細に記述している秦始皇本紀の方で宦者韓談の存在が消されていることと、もしかすると宦者韓談の子が暗殺に参加したかもしれないということが。