500年後の君へ

始秦時望氣者云「五百年後金陵有天子氣」、故始皇東遊以厭之、改其地曰秣陵、塹北山以絶其勢。
及孫權之稱號、自謂當之。
孫盛以為始皇逮于孫氏四百三十七載、考其暦數、猶為未及。元帝之渡江也、乃五百二十六年、真人之應在于此矣。
(『晋書』巻六、元帝紀、永昌元年)


東晋においては、「始皇帝の時に「金陵に500年後に天子の気が生じる」と言われた」とかいう話があったらしい。東晋こそがその「天子の気」該当者だと言うことだ。



というか孫権の時から言われていて、孫権は自分たちがその「天子の気」の出どころだと主張していたようだ。



本当に始皇帝の頃から言われていたことなのかと疑わしい気持ちでいっぱいではあるが、「始皇帝が東方に「天子の気」を確認したので鎮撫に出向く」みたいな話は確かに『史記』にあるので、直近だけじゃなくて500年後についても何か感じていて何かやっていたかもしれないというのも、当時の世界観でならいかにもありそう、なのかもしれない。