盪寇将軍について

さっき突然思いついた。

http://d.hatena.ne.jp/mujin/20100403/p3
少々遅くなったが、興味ある指摘だと思う。
「盪寇将軍」位を周瑜や程普が称することに、関羽つまり劉備軍閥との正統性争いがあった、ということだろう。


ここから先が思いついたこと。
関羽は盪寇将軍を劉備により受けた。

では程普(周瑜)の盪寇将軍は誰から受けたのか。


もちろん、直接的には孫権である。


だが、間接的には袁術から由来するのではないか。

零陵先賢傳曰、(劉)巴祖父曜、蒼梧太守。父祥、江夏太守・盪寇將軍。時孫堅舉兵討董卓、以南陽太守張咨不給軍糧、殺之。祥與同心、南陽士民由此怨祥、舉兵攻之、與戰、敗亡。
(『三国志劉巴伝注)

劉備に仕えた劉巴の父、劉祥は江夏太守・盪寇将軍であった。
この盪寇将軍位が正式に朝廷から拝命したものなのか、他の誰かが任命したものなのかは不明だが、ともあれ盪寇将軍劉祥は孫堅と協力して南陽太守を殺した人物であった。
つまり袁術シンパと考えられる。
盪寇将軍や江夏太守の地位そのものが袁術から貰ったものなのかどうか不明だが、袁術が認めた盪寇将軍であったことは間違いない。


孫権が程普(もしかすると周瑜も)を盪寇将軍に任命することができた正統性は、ここにあったのではないか。
ただ関羽に対抗して自称するだけでは正統性を主張することにはならない。
こじつけでもいいからこちらが正しいという裏付けが必要だ。

孫権にとっての裏付けは、「(袁術政権から)公認されていた盪寇将軍劉祥の後任として任命する」ということだったのではないか。


だから何だ、と言われてしまうと困ることではあるのだが、とにかく思いついたので書いておく。