かの劉備の先祖とされている前漢の陸城侯劉貞。
この陸城侯の国は、『漢書』王子侯表上によれば涿にあったという。劉備の故郷である。
これは知っている人も多いだろう。
しかし良く考えてみると、劉貞の父は中山王劉勝。もちろん中山国に住んでいた。
涿は近隣ではあるが、中山は冀州で涿は幽州と州も違う。中山の領内ではなかったのではないかと思われる。
このいわゆる「推恩の令」は、諸侯王が自分の領地を子弟に分けることを認めたものだと考えられてきたと思うが、そう単純な話でもなさそうだ。
というのは、この陸城侯のほかにも、『漢書』諸侯王王子侯表上を見ていくと、「推恩の令」による封侯なのに明らかに諸侯王の領内ではないところに封侯されている例が少なくないのだ。
諸侯王は領地の一部を子弟の封侯のため皇帝に献上して、皇帝はその献上された戸数相当のどこかの集落にその子弟を封侯する、という仕組みだったのかもしれない。
*1:4/11、T氏の指摘により訂正。