秦漢の酒池肉林

「酒池肉林」という言葉がある。

酒の池に肉の林。「肉」を肉襞や肉棒と同種の肉だと思って無駄に興奮していた若い頃が懐かしい。

といった不適切な発言はこれくらいにして本題に入ろう。
「酒池肉林」は殷が滅ぶ一因ともいえる乱行の代名詞となっているが、これはそれ以降の時代に全く行われなかったわけでもない。

秦酒池、在長安故城中。廟記曰、長楽宮中有魚池、酒池。池上有肉炙樹、秦始皇造。漢武行舟於池中、酒池北起臺、天子於上観牛飲者三千人。
又曰、武帝作、以夸羌胡、飲以鐵杯、重不能擧、皆抵牛飲。
(『三輔黄図』巻四、池沼)

秦の始皇帝は「肉炙樹」を作り、漢の武帝は酒池を作った。


武帝は酒池の傍に作った高殿から3千人もの人間が酒池に直接口をつけて酒を飲む*1姿を見物したという。

*1:「牛飲」は普通「(牛のように)大いに飲む」という意味になるようだが、少なくともここでの「牛飲」は「(牛が水を飲む格好のように)池に直接口をつけて飲む」という意味だろう。そうでないと「鉄の杯が重かったので持ち上げられなかった」と「牛飲した」が繋がらない