『漢紀』高祖皇帝紀を読んでみよう:その2

その1(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20181019/1539875123)の続き。





漢興繼堯之胄、承周之運、接秦之弊。漢祖初定天下、則從火徳、斬蛇著符、旗幟尚赤、自然之應、得天統矣。其後張蒼謂漢為水徳、而賈誼・公孫弘以為土徳、及至劉向父子、乃推五行之運、以子承母、始自伏羲、以迄于漢、宜為火徳。
其序之也、以為易稱帝出乎震、故太蔯始出于震、為木徳、號曰伏羲氏。
共工氏因之為水徳、居木火之間、霸而不王、非其序也。
炎帝承木生火、固為火徳、號曰神農氏。黄帝承之、火生土、故為土徳、號曰軒轅氏。
帝少昊滅、帝摯承之、土生金、故為金徳、號曰金天氏。
帝顓頊承之、金生水、故為水徳、號曰高陽氏。
帝嚳承之、水生木、故為木徳、號曰高辛氏。
帝堯始封于唐、高辛氏衰而天下歸之、號曰陶唐氏、故為火徳。
即位九十載、禪位于帝舜、號曰有虞氏、故為土徳。
即位五十載、禪位于伯禹、號曰夏后氏、故為金徳。
四百四十二年、湯伐桀、王天下、號曰殷、為水徳。
六百二十九年、武王滅紂、王天下、號曰周、為木徳。
七百六十七年、秦昭王始滅周、而諸侯未盡從、至昭王之曾孫政、遂并天下。是為始皇帝。有天下十四年、猶共工氏焉、非其序也。
自周之滅及秦之亡、凡四十九年、而漢祖滅秦、號曰漢、故為火徳矣。
在昔陶唐之後、有劉累者、以御龍事孔甲、為御龍氏。在商為豕韋氏。在周為唐杜氏。其適晉國者為范氏。別處秦者為劉氏。當戰國時、劉氏徙于魏、遷于沛之豐邑、處中陽里。而高祖興焉。
(『漢紀』高祖皇帝紀巻第一)


最初から漢王朝に至るまでの天下の「徳」の移り変わりを解説。




夏、殷、周と年数が延びているので、事実上その後継者とされる漢はもっと長くなるのかな?と思わせる造りになっているようにも思える。



秦は天下を統一していてもこの流れから除外されている。





後半の劉氏の来歴については、『漢書』高帝紀の末尾の「賛」に載っている事のダイジェストである。



劉氏は秦から戦国時代になって魏へ行き、末期になって沛に遷ってきたのだ、というのが公式見解だったのである。