元凶の年齢

南北朝時代、宋の文帝の長男として生まれた劉劭。
彼は皇太子でありながらトンでもない悪童であったといい、それがバレてマズイことになったら父を殺して即位するという凶行に走ったため、『宋書』では「元凶」という呼び名を頂戴している。

(元嘉三年)閏月丙子、皇子劭生。
(『宋書』文帝紀

元凶劭字休遠、文帝長子也。帝即位後生劭、時上猶在諒闇、故祕之。三年閏正月、方云劭生。
(『宋書』二凶伝)

彼が生まれたのは元嘉元年、文帝が未だ父武帝劉裕)の喪に服している時期であった。
この時期は子はまだ喪に服していて性交渉などご法度とされる期間であったため(つまり文帝はその期間中に子供が生まれる行為にいそしんでいた)、文帝は彼の誕生を隠し、喪が明けた元嘉三年になってから生まれたと発表したのであった。


これにより、劉劭の年齢は公式発表の年齢と実年齢の間に2年の誤差が生じることになった。
特に隠蔽すべき事情があれば、貴人の年齢は改竄されるものなのだ。