『三国志』には載らない事績2

秋七月庚子、太尉馬日磾為太傅、錄尚書事。八月、遣日磾及太僕趙岐、持節慰撫天下。
(『後漢書孝献帝紀、初平三年)

李傕政権下で争いを止めるための使者となった趙岐。

この人はあの馬融と姻族でありながら仲が悪かったり、宦官唐衡一派と事を構えて親族を殺されて逃亡生活を繰り広げたりしつつ90歳以上生きたという面白い人物。
建安時代の漢の朝廷では中々の大物だったようだ。

また『三国志』注で引用されることもある『三輔決録』の著者でもある。



しかし、彼の名は『三国志』とは別のところで良く知られている。

孟子十四卷、齊卿孟軻撰、趙岐注
(『隋書』経籍志)

彼は『孟子』の注釈者。
『十三経注疏』に収録される『孟子』注は趙岐の注なのである。

後漢末から三国時代にかけての人物としては、鄭玄、王弼、服虔、何晏らと並ぶ存在なのだ。