『漢紀』高祖皇帝紀を読んでみよう:その7

その6(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20181028/1540652544)の続き。





(張)耳・(陳)餘聞諸將徇地者多畏以讒得罪、又怨陳王不以己為將軍、故勸武臣反、武臣遂自立為趙王、耳為丞相、餘為大將軍。
陳王欲誅其家。柱國房君賜諫王曰、秦王未亡而誅趙王家、是復生一秦也。不如因賀之。令進兵撃秦。勝從之。耳・餘與趙王謀曰、王王趙非楚意也。楚已誅秦、必加兵於趙。不如北徇燕地以自廣、南據大河、北有燕・代。楚雖勝秦、不敢制趙。若不勝秦、必重趙。趙承秦楚之弊、可以得志於天下。
乃使韓廣北徇燕地。燕人欲立廣。廣曰、母在趙不可也。燕人曰、夫以楚之強不敢害趙、趙獨安敢害將軍之家。廣乃自立為王。而趙亦歸其家。趙王略地燕界。間行為燕軍所得、囚之以求割地。趙使請王、燕輒殺之、有廝養卒請使燕軍。説燕將曰、夫張耳・陳餘與武臣倶杖馬策下趙數十城、豈樂為人臣哉。顧其勢初定、且以長幼相次、先立武臣以持趙心。今趙地已服、此二人名為求王、實欲令燕殺之、而分王其地。夫以一趙尚陵少燕、今以両賢王立、左提右挈、而齎直義、破燕必矣。燕乃遣趙王。廝養卒為御而歸。
魏人周市為陳王定魏。魏人欲立市、市曰、國家昏亂、忠臣乃見。乃請於陳王、立故魏公子咎為魏王。
故齊王田氏之族儋亦殺縣令自立為齊王。
章邯敗楚軍、殺周文於邯鄲。殺田臧於敖倉。楚將皆敗、秦遂攻陳破之。
(『漢紀』高祖皇帝紀巻第一)


趙、燕、魏、斉における動向が記される。趙においては武臣・張耳・陳余、燕においては韓広、魏においては周市と魏咎、斉においては田儋。



趙は楚の足元を見て離反独立し、燕は趙から派遣された韓広がやはり趙の足元を見て独立。



魏の周市の義理堅さが際立つが、楚と秦に挟まれる位置関係であり、離反がしにくいという事も関係しているかもしれない。




そして秦の章邯が本格的に反撃、楚は危機に瀕するのだった。