潁川郡の鍾氏といえば鍾繇、鍾会親子などが有名だが、彼らの血族と思われる者達は前漢末には既に潁川郡で幅を利かせていたようである。
この鍾元は尚書令で廷尉を兼任するという優秀さ。
廷尉というのは法律を家伝としている鍾氏らしい。
その弟である鍾威は潁川郡の役人となって悪さをしていた。典型的な豪族という感じである。後に太守何並によって成敗されている。
ところで、あの『新唐書』宰相世系表(五上)の鍾氏の項では、鍾離眛の子供の後はいきなり後漢の鍾皓まで飛んでおり、その間が抜けている。
尚書令になるほどの血族と思われる人物(場合によっては直系の祖先かもしれない)がいるのにも関わらず鍾元兄弟はスルーされているのである。
名前が残った事績が決して褒められたものではないからだろう。