『三国志』には載らない事績

少曰魯育、字小虎、前配朱據、後配劉纂。
(注)吳歷曰纂先尚權中女、早卒、故又以小虎為繼室。
(『三国志』妃嬪伝)

三国呉の劉纂。
彼は孫権の娘を二度娶り、車騎将軍となった。
魏攻めや呂拠討伐などでは軍を率いており、単なるお飾り将軍ではない。
彼は孫権の時代から孫皓の時代まで生き延びており、ちょっと只者じゃない感じなのだが、残念な事に列伝などが無く経歴などがよく分からない。

自ら率いる兵力を持っていたところから、将軍劉阿あたりの縁者とか、そうでなければ劉繇と関係あるのかとか、色々想像したくなる。

呉之善書則有皇象、劉纂、岑伯然、朱季平、皆一代之絶手。
(『抱朴子』譏惑第二十六)

ここで皇象と並んで「絶手」と評される善書家の劉纂が車騎将軍劉纂と同一人物なのか定かではないが、そうであったら面白い。