皇と帝3

http://d.hatena.ne.jp/T_S/20090705/1246720434の続き。

「皇帝」号について考えるなら、やはりこれを外すわけにはいかないだろう。

秦王初并天下、令丞相・御史曰「・・・其議帝號」
丞相綰・御史大夫劫・廷尉斯等皆曰「昔者五帝地方千里、其外侯服夷服諸侯或朝或否、天子不能制。今陛下興義兵、誅殘賊、平定天下、海內為郡縣、法令由一統、自上古以來未嘗有、五帝所不及。臣等謹與博士議曰『古有天皇、有地皇、有泰皇泰皇最貴』臣等昧死上尊號、王為『泰皇』。命為『制』、令為『詔』、天子自稱曰『朕』」
王曰「去『泰』、著『皇』、采上古『帝』位號、號曰『皇帝』。他如議」
(『史記』秦始皇本紀)

秦の始皇帝が「皇帝」号を定めた時のこと。「皇帝」号が始皇帝により創出されたことは有名だが、丞相たちは「泰皇」という号を勧めていたのだ。
上の文を見ると、「三皇」の中でも一番貴いという「泰皇」を持ち出しているのだから、「皇帝」よりも更に高貴に見える称号だったような気もする。始皇帝は謙譲して「三皇」の号を敢えて避けたのだろうか。

ただ、これも素直に言えないところがある。
そもそも「其議帝號」と言っているから、始皇帝は「帝」という文字に元々こだわっていたのかもしれない。
「帝」こそが天下を平定し統治する者(=天子)という認識があったのかもしれない(根拠は無いけど)。

それと、上の文の注釈である『史記索隠』には「一云『泰皇』太昊也」とある。泰と太は当時は互いに通用する字だし、皇と昊も音通なのかもしれない。
太昊は『漢書』古今人表のトップに書いてある人物(「聖人」)で、いわゆる伏犧のことだ。
漢書』での彼の表記は「太昊帝宓羲氏」と言い、彼もまた古代の認識では「帝」なのである。
太昊は「三皇」であると同時に「帝」でもあるのだ。
つまり、当時の感覚では「皇」よりも上位の概念として「帝」が存在したのではないだろうか、ということになる。

となると、「三皇」の名前をそのまま丸パクするより、「帝」の号も兼ねた「皇帝」の方が、より上位の存在という認識になるのではないだろうか。


ここまでくると単なる妄想ですが。