國之司直

武帝元狩五年初置司直、秩比二千石、掌佐丞相舉不法。
(『漢書』百官公卿表上)

漢代、丞相司直という官があった。
丞相直属の監察官で前漢武帝の頃から後漢初期まで置かれており、丞相が廃止されてからは大司徒直属となり大司徒司直と呼ばれていた。

獻帝起居注曰、建安八年十二月、復置司直、不屬司徒、掌督中都官、不領諸州。
(『続漢書』百官志一、劉昭注)

後漢末、その司直の官が復活した。しかし以前のものと違うのは、司徒に属さなかったということ。

では独立した監察官だったのかと思ったら、どうやら違っていたらしい。献帝起居注は肝心な事を書き漏らしている。

太祖以(杜)畿為司空司直、遷護羌校尉、使持節、領西平太守。
(『三国志』杜畿伝)

実は当時の司直は「司空司直」であったらしい。この時代の司空というのは曹操のこと。
確かに司徒には属していないが、司空曹操に直属していたようだ。曹操漢王朝の諸官に睨みを効かせるためのものだったのだろう。

おそらく、王允呂布や董承・劉備の謀議のような陰謀を予防するために強力な直属監察官を置こうと考えたのではなかろうか。