帝王の器

http://d.hatena.ne.jp/T_S/20090202/1233501122の続き。

曹操の言葉の一部だけ取り上げるのはいかがなものかということで、全部取り上げよう。

王曰「『施于有政、是亦為政』。若天命在吾、吾為周文王矣」

王とはもちろん魏王曹操夏侯惇が「漢の命運は尽きてるし、民もみな王の功績を知っているんだし、YOU即位しちゃいなよ」と勧めたことに対し、曹操はこう答えた。

「『政治に寄与する、これもまた執政となるのと同じことではないか』って言葉もある。もし天命が俺の元にあるなら、俺は周の文王だろう」

『施于有政、是亦為政』は『論語』にある孔子の言葉。「えー?孔子先生ってなんで政治を自分で行わないんですかぁー?」という疑問に孔子はこう答えた。「『親には孝行、兄弟は仲良くするのも政治に寄与する』という書経の言葉の実践も、まつりごとを執り行うのと同じようなものジャン。どうしてわざわざ執政になる必要があるんだい?」

曹操の言葉は「為政」を「即位」にでも置き換えれば理解できるだろう。「自分が即位しなくても、臣下の立場から皇帝の地位に干渉できるんだから、これは即位してるのと同じ事じゃないか。どうしてわざわざ即位する必要があるんだい?」となる。

ということは、「お?なんだ曹操って簒奪する気なかったんじゃないか」と思うのはまだ早い。
その言葉に続けて「俺は周文王だろう」発言があるのだから。これは「俺は漢を滅ぼさない」という表明であると共に、「息子よ武王のように漢を滅ぼしておくれ」という表明でもある。


そしてもう一つ。『論語』の孔子の言葉を引いてくるというのももう一つの意味を読める。

三国時代孔子は「帝王の器を懐く」「受命の運無く」(『三国志』文帝紀)と評された。つまり天子にもなれる器であったが天命を受けられなかった聖人だというのだ。

曹操のこの発言は「帝王の器だが受命できなかった孔子」と、「受命の君と呼ばれながら前王朝を滅ぼさなかった文王」を並べて自らの行動を説明しているのである。
言い換えると、自分が帝王の器であり、受命の君であることは肯定しているのではないだろうか。