天子震怒

後漢書』党錮列伝によると、李膺らが太学を拠点に党派を結成して朝廷を誹謗し風俗を紊乱しているとの上書を見た桓帝は「震怒」し、李膺をはじめとする党人を逮捕した。これがいわゆる「党錮の禁」の始まりである。

党錮の禁」による後世いうところの「清流派」弾圧は、「濁流」すなわち宦官や外戚ではなく、漢の皇帝じきじきの命令であった。