改元2

http://d.hatena.ne.jp/T_S/20090116/1232113864の続き。

光熹元年の8月、漢の朝廷に大事件が起こった。
宦官の張譲らによって大将軍何進が殺害されたのだ。
何進袁紹らの策に従って宦官の強制排除を企んでいたが、宦官に暗殺されたのだ。
そして、これによって袁紹袁術何進の与党であった官僚たちは強硬手段に出る。宮殿に火をつけ、兵を宮殿内に入れて宦官を殺害したのである。
かくして何進時代である「光熹」は終わった。

皇帝や陳留王協(献帝)らは張譲の人質となり洛陽を離れていたが、帰還すると大赦を行うと共に「昭寧」と改元した。
これはつまり、外戚と宦官という霊帝時代からの二大勢力が共倒れになり、新たな時代になったのだということを物語るのであろう。

だがそうなると、皇太子に立てられていたわけでもなく、霊帝の遺志があったわけでもなく、何進によって擁立された皇帝である皇子弁は最大の後ろ盾を失ったことになる。
朝廷の混乱はまだ終わらなかった。