改元3

http://d.hatena.ne.jp/T_S/20090117/1232148179の続き。

昭寧元年9月、皇帝が董卓により廃されて陳留王が即位した。いわゆる献帝である。

そこで同時に改元され、年号が「永漢」となった。
つまり永漢は董卓時代の幕開けを示すものと言える。

董卓は何太后を殺す一方、陳蕃を祀る、各地の名士を招くなど清流派や官僚連の人気を取りを実行した。荀紣が中央に呼ばれたのもこのころである。

しかし永漢もまた長くは続かなかった。

董卓が相国に就任して以降、ある詔が下されたのだ。
「光熹」「昭寧」「永漢」の全ての元号を除き、中平6年に戻すようにとの内容であった。
先に書いたように本来は先帝が死んでもすぐに改元せず、年を越してから改元するのが通例なのであるから、その通例に戻そうということである。
同時に、これはこれまでの数ヶ月間を暦の上では否定する行為と言えないこともない。董卓は自分が相国になった現在こそが正しい時代であり、それまでの何進や宦官や官僚たちによって引き起こされた乱は否定すべきものなのだ、と表明したのかもしれない。