譲位

(建安四年)二月、司空曹操譲位於太僕趙岐、不聽。
(『後漢紀』孝献帝紀第二十九)


曹操は地位を趙岐に譲ろうとした、という話がある。



譲ろうとしたのは司空だろうか?なお、ほぼ同じ時期に自分の将軍位であったはずの車騎将軍は実際に董承に譲った形になっている。



曹操は官位を趙岐や董承に譲ってしまおうとしたのだろうか*1




だが、当時の状況や前後の経過などから見て、無位無官になろうとしたようには思えない。



曹操は、趙岐に譲ろうとした司空、および董承に譲った車騎将軍、それぞれの「より上の官」に就こうという段になって、元の官位を誰かに譲ろうとした、ということではなかろうか?



じゃあ何になろうとしていたのか、が問題だが。




同時期に袁紹のものだったはずの冀州牧をほかの者(董昭)に与えているあたりから考えると、もう一つの袁紹の官位である「大将軍」だろうか、やはり・・・。

*1:無論、本気で譲ろうとしたのではなく単なるポーズという可能性もあるが、それはそれで何故そういうポーズをその時期にしたのか、という問題がある。