曹瑜について考えていて思ったが、曹操が不在になっていると献帝の朝廷において高位の将軍や公がいたんだろうか、という話になってくる。
献帝の姻戚伏完あたりがそうだったかもしれないが、曹操側としてはバランスを取るために相応の官位の者を用意したいところだろう。
となると、曹操より上の世代で、おそらくは霊帝時代からそれなりに地位があったと思われる曹瑜が適任ということになるんじゃないか。
つまり曹操不在の朝廷で、献帝側の伏完と曹操側の曹瑜が実質的に席次のナンバーワンとナンバーツーを占める、という感じになっていたんじゃなかろうか。
そんな曹瑜が実際には記録にほとんど出てこないのは、献帝の朝廷だからそもそも何か動くということがほぼ無かったことと、吉本の乱のような(良くも悪くも記録に残る)動乱の時には既に世を去っていたからということではないだろうか。
だが曹操たちからすれば、献帝を抑えた功労者の一人には違いない。
まあほぼ全部想像に過ぎないが。