コメントから

先日の記事にコメントをいただいた。



なるほど、曹瑜の衛将軍を魏(公)王国や魏帝国の官とするには、他に登場しないという難点がある。



特に魏公封建を勧める中にも即位を勧める中にも出てこないというのは、地位・立場を考えると不自然ではある。



となると、曹操が魏公になるより前に死去していたのではないか。



そして、実際に衛将軍になっていたというよりは、衛将軍を追贈された、という方が自然、という。


これも確かにそうかもしれない。衛将軍就任が献帝の朝廷のことであれば『後漢書孝献帝紀や『後漢紀』に載っていそうであるが見た記憶はない。




そうなると、献帝の朝廷において、曹操が魏公になるより以前、衛将軍未満の将軍にして列侯となっていて、朝廷における曹操側の重鎮という立場だった、ということになるんじゃないだろうか。



そして衛将軍は追贈、おそらくは魏帝国になってから。



・・・というところか?