隣り合わせの灰と皇帝

後漢献帝



彼の母が彼を妊娠した時、実は堕胎の危機であった。



つまり受精卵となった直後から、献帝は生命の危機であった。



その後も何皇后らに殺される危険性が常にあったのだろう。




彼はその後皇帝に即位するわけだが、前皇帝である兄劉弁は殺されている。つまり皇帝であっても安心など出来ないわけで、常に命の危険と隣り合わせだったのではなかろうか。




董卓死後、彼は長安から洛陽へ移動しようとしたが、その際に実際に命を失いそうなくらいの危機に見舞われている。




洛陽に戻っても、今度は曹操に捕まって20年以上にわたって許県に幽閉状態となる。そこでは実権を奪われ、曹操排除には失敗して周辺の臣を失い、最後には皇后や皇子まで殺されている。


彼自身がどうなるかもわかったものではなかった。




献帝曹丕の時に帝位を失って山陽公となったわけだが、皇帝は毒棗で有名な曹丕である。帝位を譲ったからといって安心しきっていられたとは思えない。ある日突然「病死」してしまうのではないかと怯える日々だったかもしれない。





つまり、献帝は着床の瞬間から死の瞬間まで、強弱はあれどずっと命の危機を感じ続ける人生だった、ということではないだろうか。



決して長生きとはいえない人生だったのも、この強烈なストレスのせいだったかもしれない・・・。