無力な皇帝

董承女為貴人、(曹)操誅承而求貴人殺之。帝以貴人有𡜟、累為請、不能得。
(『後漢書』紀第十下、皇后紀下、献帝伏皇后)


董承の娘は献帝の側室(貴人)であったが、董承らの曹操暗殺計画が発覚し董承が殺される時、曹操は一緒にこの董貴人も殺すつもりであった。



献帝は彼女が妊娠中であることを理由に曹操に嘆願したが叶わなかったという。



おそらく、単に助命嘆願したというよりは、せめて出産は待ってほしい、といった事だったのではないだろうか。


献帝にとって息子か娘であり、漢王朝にとって皇子か皇女であるのだから、嘆願は人としても皇帝としても当然である。いや、皇帝が臣下に嘆願しても聞き入れられないというのは当然の事ではないかもしれないが。




つまり曹操は妊娠中の女性をそのまま殺したという事になるのだろう。



しかもそれは献帝にとって後継ぎにだってなったかもしれない皇子の可能性もある胎児ごと、であった。




何より、本来の権限なら詔勅によって強制的に止める事だって不可能ではないはずの皇帝がどうしようもなかったということは、曹操献帝に完全に何もやらせず、独自の権力を全く認めなかったということになるのだろう。



皇帝が自分自身の子についてさえ何も救済できない(というか、臣下が全く何も考慮せずに殺害する)という、皇帝という存在が本来持っているはずの絶対性が相対化されていたのが、曹操の元での献帝だったのかもしれない。





でもこれ、次の王朝はこういう意識に長年晒された臣下たちに囲まれることになるんだな。大変でしょうね・・・。