ひとこと(孫晧の理由)

孫休死後に孫晧が皇帝に建てられた時、孫和の嫡子と思われる孫俊が建てられないのは、年齢や能力の問題、というのもあったんだろうとは思うが、それ以上に孫俊では当時の重臣あるいはかつての重臣との距離が近すぎるから、というのも大きかったんじゃないかと思う。



孫俊が孫和の正妻張氏の子だとすると陸抗の正妻だった張氏が伯母ということになる。




皇帝が陸抗に過度に近づきすぎないようにと考えるなら、孫和の庶子であり、母も妻もあまり地位が高くない(と思われる)孫晧の方が都合がいい、ということになるだろう。