海昏侯、悔恨す

數年、揚州刺史柯奏、(劉)賀與故太守卒史孫萬世交通、萬世問賀「前見廢時、何不堅守毋出宮、斬大將軍、而聽人奪璽綬乎?」賀曰「然。失之。」萬世又以賀且王豫章、不久為列侯。賀曰「且然、非所宜言。」有司案驗、請逮捕。制曰「削戶三千。」後薨。
(『漢書』巻六十三、昌邑哀王髆伝)


前漢宣帝の時の海昏侯劉賀(最近墓が発見された人)。



彼は武帝の孫にあたり、武帝の子の昭帝が早死にするとその後継ぎとして皇帝となった。



しかし数々のご乱行があったとされ、大将軍霍光ら当時の大臣たちによって廃位されて宣帝が皇帝になったのである。




その劉賀は、自分が列侯になって住んでいる揚州予章郡の役人である孫万世から「なんであの廃位の時、宮殿から出ずに固く守って大将軍(霍光)を殺して皇帝の印綬を奪ってしまわなかったのですか?」と言われて「その通りだ、失敗した」と答えた、という。




霍光らによる皇帝廃位は、もし皇帝劉賀の側が徹底抗戦していたら頓挫していた可能性もあったのだろうか*1






にしても、この失言による処罰の後に続けて「後薨」って書かれているとなんか怖い。

*1:もちろん、この劉賀と孫万世の話には劉賀の身びいきなどがあったとは思うが、当事者が後日語っているという意味で貴重な証言なのは確かだろう。