ひとこと

そう言えば、張繍の2度目の曹操への降伏は官渡のちょっと前だったと思うが、劉備の離反を知る前のタイミングだったとすると、当時の曹操は「呂布袁術を潰して、袁紹に対しても攻勢に出ていて、かなり有望な勢力」だったのではなかろうか?



この時に降伏を選ぶのは、前の経緯があってなお選んだという点は評価できるのだろうが、情勢そのものがすでに曹操有利と見える状態と思えるので、これは「不利な曹操を敢えて選んだ」のではなく、「バスに乗り遅れるな」的な状況だったのではなかろうか?