命の選択を

魏略曰、時兗・豫大亂、(夏侯)淵以饑乏、棄其幼子、而活亡弟孤女。
(『三国志』巻九、夏侯淵伝注引『魏略』)

魏略曰、(夏侯)霸字仲權。淵為蜀所害、故霸常切齒,欲有報蜀意。・・・(中略)・・・又霸先與雍州刺史郭淮不和、而淮代玄為征西、霸尤不安、故遂奔蜀。南趨陰平而失道、入窮谷中、糧盡、殺馬歩行、足破、臥巖石下、使人求道、未知何之。蜀聞之、乃使人迎霸。初、建安五年、時霸從妹年十三四、在本郡、出行樵採、為張飛所得。飛知其良家女、遂以為妻、産息女、為劉禪皇后。
(『三国志』巻九、夏侯淵伝注引『魏略』)

夏侯淵が自分の息子の命を犠牲にしてでも助けた亡弟の娘(つまり夏侯淵の姪であり、夏侯淵の子からすると従妹)と、張飛の妻になったという夏侯淵の子夏侯覇の従妹、これ同一人物というのが『魏略』のストーリーだったりしないだろうか。



夏侯淵が助けた姪のおかげで息子の夏侯覇蜀漢に入ることができて助かったのだ、子の犠牲も意味があったのだ、みたいな。