劉邦の予言

(伍)被曰・・・(中略)・・・興萬乗之駕、作阿房之宮、收太半之賦、發閭左之戍。父不寧子、兄不安弟、政苛刑慘、民皆引領而望、傾耳而聽、悲號仰天、叩心怨上、欲為亂者、十室而八。客謂高皇帝曰『時可矣。』高帝曰『待之、聖人當起東南。』間不一歳、陳・呉大呼、劉・項並和、天下嚮應、所謂蹈瑕釁、因秦之亡時而動、百姓願之、若枯旱之望雨、故起於行陳之中、以成帝王之功。・・・
(『漢書』巻四十五、伍被伝)

漢の武帝の頃、反乱をたくらむ淮南王劉安に対し、その臣であった伍被という人物はこう言ったという。




「天下の民は皆悲しみ、上の者を恨み、反乱をたくらむ者が十世帯のうち八世帯にも及んだ。漢の高祖の客が高祖に「時は今でありましょう」と言ったが、高祖は「待つべきだ。聖人が東南から起こるであろう」と答えた。それから一年もたたずして陳勝呉広の乱が起こり、高祖・項羽が並び立ち、天下もそれに応じたのであります」






この話の設定としては漢の高祖がまだ挙兵する前ということになる。



その賓客と反乱を起こすべき時期について話し合っていたが、高祖は予言めいた事を言って反乱を押しとどめた、ということらしい。






やはり、漢の高祖劉邦は漢代において一種の予言能力の持ち主と捉えられていたということじゃないだろうか。