昨日の記事(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/02/10/000200)について。
『典論』を著した魏の文帝の後継ぎである烈祖様こと魏の明帝曹叡様は、『典論』を石碑に刻んで立てるようにと命令を下していた。
昨日の話にあった石碑は、この命令によるものか、それに関わるものという事だろう。
ところで、王朝創始者の著作というと、例えば周の文王の『易経(周易)』や、王莽による訓戒などがある。
『典論』もこれらの著作のように扱うべき、という事なのだろう。
これは、烈祖様や臣下たちが純粋に『典論』を素晴らしいと感じていたという事もあったかもしれないが、「『易経』にも匹敵する著作を残した文帝は周の文王にも匹敵する存在である」といった、プロパガンダの側面もあったかもしれない。