洛陽の石碑

開陽門御道有漢國子學堂、堂前有三種字。石經二十五碑、表裏刻之、寫春秋・尚書二部、作篆・科斗・隷三種字。漢右中郎將蔡邕筆之遺跡也。
猶有十八碑、餘皆殘毀。
復有石碑四十八枚、亦表裏隷書、寫周易尚書・公羊・禮記四部。又讃學碑一所、並在堂前。
魏文帝作典論六碑、至太和十七年猶有四碑。
高祖題爲勸學里。
(楊衒之『洛陽伽藍記』城南)

かつて洛陽は漢代に経書の類を刻んだ石碑が立てられており、北魏の頃にも幾つか残っていたのだという。



それらの経書の石碑に混じって、魏の文帝が自ら著したという『典論』の石碑もあったという。




いつ誰が石碑を立てたのか分からないが、立てた者にとっては『典論』は経書に匹敵する存在だったのかもしれない。