『漢紀』高祖皇帝紀を読んでみよう:その16

その15(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20181115/1542207939)の続き。





沛公又敗秦軍于栗邑。
陳餘遺章邯書曰、白起為秦將、南拔鄢郢、北坑馬服、攻城略地、不可勝計、卒賜死于杜郵。蒙恬北逐戎人、開榆中之地數千里、竟死于雲陽。何者、功多而秦不能封、因以法誅之。今將軍為將三年、所亡失以十萬數、而諸侯並起、丞相趙高專政日久、今事急、恐二世誅之、必因以法誅將軍以塞責、使人更代以免其禍。將軍居外久、多内隙、有功必死、無功亦死。且夫天亡秦、愚智皆知之。今將軍内不能直諫、外為亡國將、孤立而欲長存、豈不哀哉。
章邯狐疑、陰與項羽約、未決。
鉅鹿之圍、陳餘以數萬人軍在鉅鹿北、力不能救趙。張耳令張靨・陳釋召餘、餘遣靨・釋將五千人當秦軍、皆沒。及罷圍、耳責怒餘。餘曰、所以不進死、欲報秦也。今赴秦軍、如以肉邛虎、當何益也。耳又以為餘殺靨・釋。餘怒曰、不意君之望臣深也。乃解印綬去、耳取之、遂收其軍。餘與數百人之河上漁獵。
初、耳・餘為刎頸交、倶隠身為里監門、餘常父事耳、由是有隙。
(『漢紀』高祖皇帝紀巻第一)

秦本国の丞相趙高を疑い、揺れ動く章邯。白起らを秦が殺したという事実が今になって秦を苦しめる。




そして助かった趙においては、事実上の支配者である張耳と陳余の二人の関係が決裂。冷静に見ると陳余の言っている通りだとしても、死ぬところだった張耳にしてみればたまったものではないという事だろう。



この両者の関係が、のちのち劉邦にも影響してくるのだった。