その37(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20180928/1538060959)の続き。
是時、漢兵盛食多、項王兵罷食絶。
漢遣陸賈説項王、請太公、項王弗聽。漢王復使侯公往説項王、項王乃與漢約、中分天下、割鴻溝以西者為漢、鴻溝而東者為楚。項王許之、即歸漢王父母妻子。軍皆呼萬歳。漢王乃封侯公為平國君。匿弗肯復見。曰「此天下辯士、所居傾國、故號為平國君。」項王已約、乃引兵解而東歸。
(『史記』巻七、項羽本紀)
項羽、劉邦と休戦。項羽は劉邦に人質となっていた父(スープの具になりそうだった人)らを返した。
項羽は兵は疲れ果て、兵糧にも事欠く有様だったというから、戦争の継続を望んでいなかったのは項羽の方なのである。息子本人が殺してスープにしていいと言っているような人質で休戦できるなら、項羽にとっては渡りに船だったのではなかろうか。
最初劉邦の話を断ったのは、多分一種の交渉術という事なのだろう。
ちなみに劉邦が斉王を味方に引き入れた時、韓信は停戦命令を受けていないと言って斉王をそのまま攻めた。
今回、韓信や彭越は停戦命令を受けたのだろうか。
このまま劉邦とは休戦したとしても、項羽はなおも戦続きだったんじゃないかという気もする。