『漢紀』高祖皇帝紀を読んでみよう:その42

その41(https://t-s.hatenablog.com/entry/2018/12/27/000100)の続き。





秋七月、立黥布為淮南王。
八月、初為算賦。令軍士死者、吏為衣衾棺斂傳送其家。四方歸心焉。
漢王遣侯公説項羽求太公。羽乃與漢約中分天下、割洪溝以西為漢、以東為楚。
九月、歸太公・呂后。封侯公為平國君。項羽解而東歸。漢王欲西、張良・陳平諫曰、今漢有天下大半、而諸侯皆附漢。楚兵疲食盡、此天亡之時也。不如因其幾而取之。
(『漢紀』高祖皇帝紀巻第三)

劉邦項羽の人質となっていた父や妻(呂后)の返還を受け、併せて項羽と和睦して停戦。まあ、劉邦は父や妻が人質になっていてもほとんど意に介せずに項羽と戦っていたのだが。


とはいえ、実のところ劉邦の側は劉邦自身が領土としているかシンパが王になっているが、項羽の方は領内にすら彭越という危険分子を抱えており、その安定度には格段の差がある。


しかも項羽は自ら兵を率いて西へ東へと転戦しており、兵は疲労の極致であったようだ。




そこで素直に領地へ戻ろうとしたが、張良や陳平は「これぞ好機」と進言し、劉邦へ和睦破りを促すのだった。


劉邦の畜生な行動の多くは張良の策略によるものが多いような気が・・・。