『史記』項羽本紀を読んでみよう:その27

その26(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20180915/1536937345)の続き。





春、漢王部五諸侯兵、凡五十六萬人、東伐楚。
項王聞之、即令諸將撃齊、而自以精兵三萬人南從魯出胡陵。
四月、漢皆已入彭城、收其貨寶美人、日置酒高會。
(『史記』巻七、項羽本紀)


劉邦、56万人の兵を率いて項羽が本拠とした彭城を占領。




項羽は斉を諸将に任せ、3万の兵を率いて彭城へ急ぐ。






なお、この時漢王劉邦が率いた「五諸侯」がどの諸侯を指すのかについては古来より諸説入り乱れていたようだ。


例えばシコ先生こと唐の顔師古は常山王張耳、河南王申陽、韓王鄭昌、西魏王魏豹、殷王司馬卬の事であるとするが、三秦王をカウントしたり陳余をカウントしたりする説もある。




何にせよ、気が付いたら漢王劉邦は三秦を抑え、三秦(関中)から彭城へ至る途上にいる王たちをあらかた破るか従えるかしていた、という事である。





にしても、秦を破った時には最初からではなかったようだが財宝その他に手を付けなかったという劉邦が、項羽の本拠では割とフリーダムに切り取り放題だったのが興味深い。



直属ではない各諸侯の兵もいたから、統率のためには略奪行為を認めて諸侯やその兵の機嫌を取る必要があったのかもしれない。