『史記』項羽本紀を読んでみよう:その26

その25(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20180914/1536851086)の続き。





是時、漢還定三秦。
項羽聞漢王皆已并關中且東、齊・趙叛之、大怒。乃以故呉令鄭昌為韓王、以距漢。令蕭公角等撃彭越。彭越敗蕭公角等。
漢使張良徇韓、乃遺項王書曰「漢王失職、欲得關中、如約即止、不敢東。」又以齊・梁反書遺項王曰「齊欲與趙并滅楚。」楚以此故無西意、而北撃齊。
徴兵九江王布、布稱疾不往、使將將數千人行。項王由此怨布也。
漢之二年冬、項羽遂北至城陽、田榮亦將兵會戰。田榮不勝、走至平原、平原民殺之。遂北燒夷齊城郭室屋、皆阬田榮降卒、係虜其老弱婦女。徇齊至北海、多所殘滅。齊人相聚而叛之。於是田榮弟田膻收齊亡卒得數萬人、反城陽
項王因留、連戰未能下。
(『史記』巻七、項羽本紀)


項羽体制がガンガンおかしくなっていっている間、漢王劉邦は漢中から関中(三秦)へ進出してした。



張良項羽に対し「漢王は本来得られるべきだった関中を奪回したので、これ以上進出するつもりはございませんよ」と手紙を出したので、項羽は斉方面に出兵する。



後の展開から考えるとまんまと騙されたという風にしか思えないが、実際のところ項羽自身が劉邦と斉と両方を同時に攻めるわけにはいかないわけで、どちらを選ぶかというところで斉を先にした、という事なのだと思う。ここで劉邦の進出を全力で阻んだとしたら、斉方面はいよいよ手が付けられなくなっていたかもしれない。




斉を攻めた項羽は田栄を討ち、田栄の兵を地面にしまっちゃったり非戦闘員を捕虜として連れ去ったりしていった。


斉はそれに抵抗し、田栄の弟の田横が田栄軍の生き残りを再結集して項羽と再戦するのだった。




兵を多数しまっちゃって関中に長居できなくなった項羽、今度はまた同じような事をした。今度は皮肉にも斉から戻りたくてもなかなか戻れなくなっている。





また、今回の内容では黥布が地味に項羽に反抗的になってきている事も注目である。


これまでは項梁・項羽の軍の主力のような扱いだったように思われるのだが、項羽に見切りを付けたのだろうか。




項羽体制どころか項羽自身が大ピンチである。