劉備に属した県侯

二十五年、魏文帝稱尊號、改年曰黄初。
或傳聞漢帝見害、先主乃發喪制服、追諡曰孝愍皇帝。
是後在所並言衆瑞、日月相屬、故議郎陽泉侯劉豹・青衣侯向舉・偏將軍張裔・黄權・大司馬屬殷純・益州別駕從事趙莋・治中從事楊洪・從事祭酒何宗・議曹從事杜瓊・勸學從事張爽・尹默・譙周等上言・・・(攻略)・・・
(『三国志』巻三十二、先主伝)


献帝曹丕に帝位を禅譲し、劉備が皇帝に推される際に「陽泉侯」「青衣侯」が出てくる。素直に読めば県侯である。




この当時、少なくとも列伝上では関羽張飛の爵は「亭侯」(ついでに言うと劉備が漢中王になるまでの爵位も亭侯)なので、この県侯たちは関羽らよりも爵位が上の存在だったことになる。




まあ、そういう人物が劉備の集団の中に混ざっていておかしいという事はないが、彼らがどういう経歴、どういう人物だったのかは少し気になる。



特に陽泉県は廬江郡にあったらしいので、封国にいて仕官したといったわけでもなさそうだし。



なお、青衣県は後漢の時に「漢嘉」と改称したとされているので、ここで話題にしている青衣侯は県侯ではない可能性もあるし、劉備の時に立てたような可能性もあるだろう。