冤罪を救うということ

雷義字仲公、豫章鄱陽人也。
初為郡功曹、嘗擢舉善人、不伐其功。義嘗濟人死罪、罪者後以金二斤謝之、義不受、金主伺義不在、默投金於承塵上。後葺理屋宇、乃得之、金主已死、無所復還、義乃以付縣曹。
(『後漢書』列伝第七十一、独行列伝、雷義)

後漢の雷義という者は、郡の幹部職員だったころに死罪になる人を助けてやったことがあった。



その死罪を助けられた人は謝礼として金を贈ろうとしたが雷義は受け取らなかった。




そこでその人は雷義がいない時を見計らって金を天井板の上に投げ込んでおいたのだという。




結局その金は家の改修作業の時まで発見されず、雷義はその金を県に届けたのだった。





漢代あたりは郡や県の役人あるいは長官が「冤罪を助けた」という事例が美談、美徳としてよく称揚されるし、今回の件も別に単なる美談で済む話ではあるが、助けられた側は助けた本人の意思とは関係なく高額な「謝礼」を持ってくるのが大半だったのだろうし、雷義は断っているがそのまま受け取った事例も少なくなかったのではないだろうか、と思う。