烈祖様の水素還元水と漢武の魔法の露

時百姓凋匱而役務方殷、(衛)覬上疏曰・・・(中略)・・・昔漢武信求神仙之道、謂當得雲表之露以餐玉屑、故立仙掌以承高露。陛下通明、毎所非笑。漢武有求於露、而由尚見非、陛下無求於露而空設之、不益於好而糜費功夫、誠皆聖慮所宜裁制也。
(『三国志』巻二十一、衛覬伝)

魏の明帝曹叡こと烈祖様が民が困っているのに徭役を倍プッシュしている時、衛覬(衛瓘の父)はこう諫言した。




「昔、漢の武帝は神仙になる道を追い求め、神仙になるためと雲の露を集める高層建築を作りました。聰明な陛下はいつもそれをあざ笑っていたものです。陛下は露を求めて無駄に建造物を作るなどということのなきよう」






なんか微妙に具体的な諫言だな・・・と思ったら、漢武の「仙人になれる露」という不思議アイテムのようなものが烈祖様にもあったではないか。




初、青龍三年中、壽春農民妻自言為天神所下、命為登女、當營衛帝室、蠲邪納福。飲人以水、及以洗瘡、或多愈者。於是立館後宮、下詔稱揚、甚見優寵。及帝疾、飲水無驗、於是殺焉。
(『三国志』巻三、明帝紀


烈祖様は病気やケガが治る謎の水という不思議アイテムにハマって、後宮にそのための館を建造したりしているのだ。




衛覬が「漢武の魔法の露」を引き合いに出したのは、直接の諫言相手である烈祖様が同じような不思議アイテムを信じ込んで同じように無駄な施設を作っている、ということへの批判なのかもしれない。