司馬遷の書を読んでみよう5

その4(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20160614/1465831214)の続き。



夫中材之人、事關於宦豎、莫不傷氣。況忼慨之士乎!如今朝雖乏人、奈何令刀鋸之餘薦天下豪雋哉!僕頼先人緒業、得待罪輦轂下、二十餘年矣。所以自惟、上之、不能納忠效信、有奇策材力之譽、自結明主。次之、又不能拾遺補闕、招賢進能、顯巖穴之士。外之、不能備行伍、攻城野戰、有斬將搴旗之功。下之、不能累日積勞、取尊官厚祿、以為宗族交遊光寵。四者無一遂、苟合取容、無所短長之效、可見於此矣。
郷者、僕亦嘗厠下大夫之列、陪外廷末議。不以此時引維綱、盡思慮、今已虧形為埽除之隸、在闒茸之中、乃欲卬首信眉、論列是非、不亦輕朝廷、羞當世之士邪!嗟乎!嗟乎!如僕、尚何言哉!尚何言哉!
(『漢書』巻六十二、司馬遷伝)

凡人でさえも宦官に関われば気分を損なわずにはいられない。まして意気盛んな士であればなおのことである。今の朝廷には大人物が少ないとはいえ、どうして局部を改造手術した者に天下の豪傑・俊英を推薦させるなどということがあろうか?


僕は父祖から伝えられた学業のお蔭で皇帝に仕えて二十年以上になる。思うに、賢明なる君主に対して忠節を示すこともなければ奇策や腕っぷしがあるわけでもない。また不備を補い、能力ある者を推薦し、野に隠れた士を引き立てたわけでもない。かといって兵士になって従軍し、敵将を討ち軍旗を奪うような功を立てられるわけでもない。さりとて日々の仕事を続けて功労を重ねて官位を上げて宗族の誉れとなることもできない。これらの4つの事をどれもできずにいたために今ここにいるのである。


かつて、僕もまた大夫として朝廷の末席にいたが、その時において思慮を尽くすことをしないでいたのに、この宮刑を受けて隷臣となった今になって是非を論じたところで、朝廷が軽んじ、士大夫たちが恥ずかしく感じないでいられるだろうか?


ああ^〜僕が何を言えるというんじゃあ〜




司馬遷は宦官を積極的に自らdisっていくスタイル。



更には自分自身も手術前から役に立ってこなかった存在だと言い出す。




つまり、「こんな自分に何を期待しているというんだ?凡人で、しかも宦官である自分が何か言ったところで何もできない。任少卿が言っているような賢者を推挙せよなどというのは無理な話なのだ」と言いたいのだろう。



「私には、人の口利きする能力もないし資格もない。だからしない」というわけだ。