司馬遷の書を読んでみよう4

その3(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20160612/1465660494)の続き。



僕聞之、修身者智之府也、愛施者仁之端也、取予者義之符也、恥辱者勇之決也、立名者行之極也。士有此五者、然後可以託於世、列於君子之林矣。故禍莫憯於欲利、悲莫痛於傷心、行莫醜於辱先、而詬莫大於宮刑
刑餘之人、無所比數、非一世也、所從來遠矣。昔衞靈公與雍渠載、孔子適陳。商鞅因景監見、趙良寒心。同子參乗、爰絲變色。自古而恥之。
(『漢書』巻六十二、司馬遷伝)

僕が聞くところでは、身を修めることは聡明さの中でも最も大事なことであり、施すことは仁の心の端緒であり、与えることは義の心の証拠であり、恥辱は勇気によって解決され、名声を博することは正しい行いの究極にあるという。


士というのはこの五つが備わって初めて世に知られ、君子の仲間入りすることができるのだ。



故に災いは私欲から発するより痛ましいものはなく、悲しみは心が傷つけられることより辛いものはなく、行いは先人を辱めることよりも醜いものはなく、恥辱は宮刑より大きなものはないのである。


宮刑を受けた者はまともな人間として数えられないというのは最近のことだけではなく、昔からのことである。


昔、衛の霊公が宦官雍渠を自分の車の助手席に乗せると、かの孔丘先生は衛を去って陳へ向かった。


商鞅が秦の宦官景監の手引きで謁見すると、趙良はドン引きした。


文帝が宦官趙談を助手席に乗せると、袁盎は顔色を変えた。


昔から、宦官は恥とされてきたのだ。




司馬遷宮刑は最上級の恥辱であり、昔から宦官という存在が立派な士大夫からはまともな人間扱いされない存在だったのだ、と力説する。



司馬遷は自分自身もまたそういう存在なのだ、と言いたいのである。




このようなことは司馬遷からすれば文章にすることすら苦痛だったかもしれないが、それでもなお言いたいことへ続けるために必要だったのだろう。