『漢紀』高祖皇帝紀を読んでみよう:その32

その31(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20181210/1544368025)の続き。





十二月、九江王布及隨何至。布為楚所攻敗、故間行而來。
王拒楚於成皋、與酈食其謀撓楚權。食其曰、昔湯伐桀、封其後于杞。武王伐殷、封其後于宋。秦滅六國、使無立錐之地。大王誠復六國之後、彼皆戴仰大王徳義、願為大王臣妾。徳義已行、南面稱伯、楚必斂衽而朝。王曰善。趨刻印。未行、張子房至。王以問之。良曰、大事去矣。漢王方食、良曰、臣請借前箸以籌之。昔湯武封桀紂之後者、度能制其死命也。今大王能制項籍之死命乎。其不可一矣。武王入殷、表商容之閭、釋箕子之囚、封比干之墓。今大王能乎。其不可二矣。發鉅橋之粟、散鹿臺之財、以賑貧窮。今大王能乎。其不可三矣。偃革為軒、倒戢干戈、示不復用武。今大王能乎。其不可四矣。休馬華山之陽、示無所為。今大王能乎。其不可五矣。息牛桃林之埜、示天下不復輸積。今大王能乎。其不可六矣。天下游士、離親戚捐墳墓、去故舊、從大王遊者、日夜望尺寸之地。今乃立六國後、遊士各歸事其主、從親戚及故舊。大王誰與取天下乎。其不可七矣。且楚唯無彊、六國復撓而從之、大王安得復臣之哉。其不可八矣。誠用此計、大事去矣。漢王輟食吐哺、罵酈生曰、豎儒幾敗乃公事。令趨銷印。
(『漢紀』高祖皇帝紀巻第二)


劉邦、酈食其の提案した「六国(戦国の七国のうち秦以外)の諸侯の末裔をまた封建しよう」という策を張良の説得で取りやめ。




酈食其の策もただの愚策というよりは、「かつての六国の権威や体制を利用しよう」といった、ある程度現実的な観点からの策なのだろうとは思う。


だが、おそらく張良はそれが後で厄介を引き起こしそう、という点を重視したように思われる。




項羽も各地に諸侯を封建した際、六国の末裔の王を冷遇して自分の腹心や恩人を優遇するような形を取った。これは明らかに失敗ではあったが、六国の末裔が未だに保持する影響力などを利用はしたいが邪魔にも思い始めている、という微妙な状況の現れだったのかもしれない。そういう点では、項羽も同じような問題を認識していたのではないかと思う。