司馬遷の書を読んでみよう2

その1(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20160609/1465401390)の続き。



少卿足下。曩者辱賜書、教以慎於接物、推賢進士為務、意氣勤勤懇懇、若望僕不相師用、而流俗人之言。僕非敢如是也。雖罷駑、亦嘗側聞長者遺風矣。顧自以為身殘處穢、動而見尤、欲益反損、是以抑鬱而無誰語。諺曰「誰為為之?孰令聽之?」蓋鍾子期死、伯牙終身不復鼓琴。何則?士為知己用、女為説己容。若僕大質已虧缺、雖材懐隨和、行若由夷、終不可以為榮、適足以發笑而自點耳。
(『漢書』巻六十二、司馬遷伝)

先に少卿(任安)より手紙を貰った。そこでは物事に慎重になるように、賢明な人材を推薦することに努めるべきだと書かれていて、僕がそれを模範とせずに世間の俗物の言葉に左右されていると恨みに思っているようだった。


僕はそうしたいわけではない。いくら能力の無い身とはいえ、古の大人物たちの立派な行いというのは効いたことがある。


しかし顧みるに僕は手術後で汚らしいところに居り、動けば咎められ、良かれと思ってもかえって損害を与えてしまう。そこで自分を抑えており、共に語る相手もいないのである。


諺に「(自分を分かってくれる相手がいなければ)何のためにわざわざ行うというのか?誰にその言葉を聞かせようというのか?」という言葉がある。


鍾子期が死んだら伯牙は琴を演奏しなくなった、という。これはどうしてか?士は知己のために死に、女性は自分を好いている相手のために着飾るということなのだ。


僕の如き存在は士として重要な要素が欠けているから、仮にもし自分に隨侯の珠や和氏の璧のようなきらめく才能があり、許由や伯夷のような高潔な行動があったとしても、栄誉とされることはなく、かえって笑いものになって自分を辱めることになるだけだろう。





この出だしによると、どうやら任安は司馬遷に対して「賢者を推挙すべきである」と言っていたらしい。


この司馬遷からの手紙は、それに対する返答ということだ。




その中で司馬遷は重ねて「知己がいない」と述べる。


おそらく、「知己がいないので何かを言ったところで分かってくれる人はいない。まして手術を受けて汚らしい罪人扱いされるワイが何を言っても無駄。だから何も言わないのだ」ということなのだろう。





李陵の弁護をしたところ誰も分かってくれず手術になった、という事実を踏まえて考えると、司馬遷がかつて受けた仕打ちに対する恨みと絶望の深さが垣間見えるような気がする。