司馬遷の書を読んでみよう14

その13(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20160627/1466954208)の続き。もうすぐ終わる。



且負下未易居、下流多謗議。僕以口語遇遭此禍、重為郷黨戮笑、汚辱先人、亦何面目復上父母之丘墓乎?雖累百世、垢彌甚耳!是以腸一日而九回、居則忽忽若有所亡、出則不知所如往。毎念斯恥、汗未嘗不發背霑衣也。身直為閨閤之臣、寧得自引深臧於巖穴邪!故且從俗浮湛、與時俯仰、以通其狂惑。今少卿乃教以推賢進士、無乃與僕之私指謬乎。今雖欲自彫瑑、曼辭以自解、無益、於俗不信、祗取辱耳。要之死日、然後是非乃定。書不能盡意、故略陳固陋。
(『漢書』巻六十二、司馬遷伝)

下々の者に背けばこのままここに居ることもできず、誹謗が多い。僕は弁舌によってこの災いに遭い、更に郷里の笑いものとなり、先祖の名を汚すこととなった。何の面目があって父母の墓に行くことができようか?百代先になったとしても、その汚辱は酷くなる一方ではないか。


そこで僕は一日に九回も腸が捻じれそうな苦しみを味わい、家に居ても失意のあまり死んだようであり、外出しても行くところも分からないような有様であった。常にこの恥辱のことを考えると、汗が背中をつたってくるのだ。


僕は後宮に仕える身であるから、どうして洞穴に隠れてしまうことができようか!


そこで世俗に従っているうちに僕の常軌を逸して道理の通らぬ思いを通すことになったのである。


今、少卿は僕に賢者を推薦すべきと求めているが、どうして僕自身の気持ちと異なっているであろうか。(僕もその気はあるのだ。)


だが、今、(宦官の)僕が自ら美文を以て人を推薦したとしても、何の益も無く、世間にも信用されず、恥辱を増すだけのことだろう。


このことの是非は、死ぬ日になればわかることだろう。


書は僕の気持ちを伝え切ることはできないものの、敢えて僕の見識の無い意見を述べさせてもらった。




司馬遷の恨み言満載の手紙がついに完結。



最後に改めて「自分だって賢者を推薦したいとは思っているのだが、宦官の僕がそれをしたところで誰も聞いちゃくれない。余計に笑いものになる」と述べる。




正直なところ、この時期の司馬遷は中書令だったのではないかということを考えると、武帝に対して直接お願いや進言することができたのではないかと思えないこともないが、そのあたりは究極的には本人にしかわかりようがないことなので言っても仕方ないだろう。



大事なことは、命は惜しくないが名誉は大事にするので、また更に笑いものになりたくはないからやめておく、と断ったことだ。




最初の頃に述べたようにこれが事実上の「司馬遷への自分の助命嘆願」だったとすれば、握りつぶしたりするでもなく、はっきりと拒絶したことになる。



これを「さすが司馬遷、筋は通すのだな」と取るか、「さすが司馬遷、俺たちにできないことを平然とやってのけるッ!そこにシビれる!あこがれるゥ!」と思うのか、それは読む人の自由ということにしておく。





なお、ここまでの日本語訳らしきものはもともと抄訳だし一部文意を勝手に補ったりもしているし、そもそもどこまで正しいかという点からして何の保証もできないので、何かの参考にするとしたら自己責任でよろ。