郡名を使わない理由

南濮陽太守、本東郡、屬兗州。晉武帝咸寧二年、以封子允、以東不可為國名、東郡有濮陽縣、故曰濮陽國。濮陽、漢舊名也。允改封淮南、還曰東郡。
(『宋書』巻三十五、州郡志一)

漢代、「東郡」という郡があったのだが、晋の時にその郡を領国とする王を立てることとなった。



その際、「『東』は国の名前とすることはできない」という理由で、東郡の中にある県の一つ「濮陽」を国の名前とした。



通常は郡の王とする時はその郡の名前をそのまま領国の名前とする習わしだったようだが、東郡でそれをすると「東国」となってしまい、元宮崎県知事と区別することが難しくなるということなのだろう。




正直どうでもいいような国名のことではあるが、変更の理由がちゃんと述べられているのが興味深い。