三国志はじめての官職:皇太子

さて、皇帝の位は基本的には世襲制で継承されるのが中華帝国の常であった。



そして、皇帝を継ぐべき人物はあらかじめ決めておくのが普通であり、その後継者のことを「皇太子」と言った。



というか現代日本にもリアル皇太子がいるのだから、その辺はまあ説明不要かもしれない。




太子太傅一人、中二千石。
本注曰、職掌輔導太子。禮如師、不領官屬。
(『続漢書』志第二十七、百官志四)

この「皇太子」は、皇帝になるための教育を施されるという建前から、そのための師匠に当たる官職が置かれていた。



その一つが「太子太傅」である。



九卿と同じ秩禄というところから、地位としては高くそれなりに重要視されていたことがわかる。



ただ、「官属を領せず」つまりこの「太子太傅」直属の部下、官庁は無かったということであるから、本当に「皇太子」を教え導くことだけが目的の官職であったと言えるだろう。



太子少傅、二千石。
本注曰、亦以輔導為職、悉主太子官屬。
(『続漢書』志第二十七、百官志四)

その一方、「太子少傅」という秩禄では一等下にある官職の方は「太子官属」を主管するとされており、実際の皇太子に属する官吏たちを統率したのはこの「太子少傅」であったことがわかる。



太子率更令一人、千石。
本注曰、主庶子・舍人更直、職似光祿。

太子庶子、四百石。
本注曰、無員、如三署中郎。

太子舍人、二百石。
本注曰、無員、更直宿衛、如三署郎中。

太子家令一人、千石。
本注曰、主倉穀飲食、職似司農・少府。

太子倉令一人、六百石。
本注曰、主倉穀。

太子食官令一人、六百石。
本注曰、主飲食。

太子僕一人、千石。
本注曰、主車馬、職如太僕。

太子廄長一人、四百石。
本注曰、主車馬。

太子門大夫、六百石。
本注曰、舊注云職比郎將。舊有左右戸將、別主左右戸直郎、建武以來省之。

太子中庶子、六百石。
本注曰、員五人、職如侍中。

太子洗馬、比六百石。
本注曰、舊注云員十六人、職如謁者。太子出、則當直者在前導威儀。

太子中盾一人、四百石。
本注曰、主周衛徼循。

太子衛率一人、四百石。
本注曰、主門衛士。

右屬太子少傅。
本注曰、凡初即位、未有太子、官屬皆罷、唯舍人不省、領屬少府。
(『続漢書』志第二十七、百官志四)

皇太子直属の官は以上のようになっている。



よく見ると「職○○の如し」と、皇帝の大臣や側近と同じような仕事をする、と書かれている官職が少なくないことがわかるだろう。



つまり、これら皇太子直属の官は、皇帝の朝廷をひとまわりふたまわり小さい「模擬朝廷」のようなものであるということだ。



理想としては、皇太子はこの「模擬朝廷」の主となることで本物の朝廷の主となるときの演習を繰り返すのだろう。




また、この皇太子の「模擬朝廷」の官になるということは、「次期皇帝」の目に留まりやすいということなので、皇太子が後を継いでから新皇帝による抜擢を受けるということもしばしば見られた。





後漢末から三国時代にかけては、ある程度の期間皇太子で過ごしてから皇帝になった人物というのは実は劉禅くらいしかいない(曹丕は魏王の太子)ようなので、ぶっちゃけ皇太子について説明してもあまり響かないかもしれないのだが、まあ一応ね・・・。