三国志はじめての官職:衛尉

前回、皇帝の近辺を警護する「郎」を管轄する「光禄勳」について説明した。では、皇帝を警護する人員やその部署はこれで終わりだろうか。


もちろんそうではなく、「衛尉」という官職も存在している。





衛尉、卿一人、中二千石。
本注曰、掌宮門衛士、宮中徼循事。
丞一人、比千石。
(『続漢書』志第二十五、百官志二)

衛尉」は、宮殿の門や宮中の衛士を管轄する大臣である。




前回説明した「光禄勳」の「郎」とどう違うのかと言うのがわかりにくいが、皇帝のいる宮殿全体を外部から守るのが「衛尉」の「衛士」であるのに対し、「郎」は皇帝が姿を見せる殿中でのボディーガードたち、という感じであろうか。




公車司馬令一人、六百石。
本注曰、掌宮南闕門、凡吏民上章、四方貢獻、及徴詣公車者。
丞・尉各一人。
本注曰、丞選曉諱、掌知非法。尉主闕門兵禁、戒非常。
(『続漢書』志第二十五、百官志二)


「衛尉」は宮殿の各面にある門を守る部署がいくつかあるが、その中でも特筆すべきは宮殿の南側のいわば正門を守る「公車司馬令」である。



各地の官僚や民による上奏、あるいは四方からの献上、そして皇帝じきじきの「お召し」*1といったものは、いずれもこの門へ集まることとされており、その集まった文書・文物・人物を管理するのがこの「公車司馬令」たちなのである。



三国志の時代にはあまり出てこないかもしれないが、後漢ではしばしば皇帝の召し出しで公車司馬令の元へ出頭する人物などが出てくるので、憶えておいてもいいだろう。





*1:「公車徴」などと言う。