ふと思った事

代々中央政府サイドからは辺境として軽い扱いを受け続けた涼州の出身。




実家は中央政府魏王朝)に反抗し、(おそらく)それが原因で父や兄弟を失い、本人も連座して後宮の女官にさせられた。



そこで皇帝に見染められて最終的には皇后となり、皇帝死後は皇太后になった。





この女性すなわち魏の明帝の郭皇后が魏王朝に対してどんな思いを抱いていたか、という点を想像してみると、「魏王朝を何がなんでも護持しなければ」なのか、「魏王朝には実はあまり思い入れは無い」なのか、「本当は魏王朝なんて滅んでしまえばいいと思っている」なのか、意見が分かれるところじゃないのかなあ、とか思った。