蔡質漢儀曰「延熹中、京師游俠有盜發順帝陵、賣御物於市、市長追捕不得。周景以尺一詔召司隸校尉左雄詣臺對詰、雄伏於廷荅對、景使虎賁左駿頓頭、血出覆面、與三日期、賊便擒也。」
(『後漢書』列伝第三十五、周景伝注引蔡質『漢儀』)
後漢桓帝の時、都洛陽で順帝陵を盗掘して陵内の副葬品を市場に流した者がいた。
市場の責任者が気付いて犯人を捕えようとしたが出来ず、事態は大事となった。
洛陽近辺の統治を統括する立場にある司隷校尉の左雄が尚書台に召喚され、厳しい詰問を受けたのである。
その詰問を行った尚書令の周景は衛兵(虎賁)に左雄の頭を力ずくでガンガンと地面にぶつけさせたため、左雄は顔一面血だらけになったという。
左雄は更に3日で犯人を捕えよと期限を切られた(期限を過ぎたらもちろんタダでは済まない)が、なんとか犯人を捕らえることに成功したのだそうだ*1。
皇帝陵盗掘という大事件なので極めて切迫した対応になっているのはまあ分かるが、それにしてもものすごいパワータイプな扱いである。
後漢王朝の特徴だったのかもしれない。