守旧派としての曹操

太祖性嚴、掾屬公事、往往加杖。(何)夔常畜毒藥、誓死無辱、是以終不見及。
(『三国志』巻十二、何夔伝)


曹操の元で働いていた何夔は、曹操の部下たちがしばしば棒で打ち据えられる折檻を受けているのを見て、同じ目に遭いそうな時のために屈辱を受けないよう毒薬を用意したという。





このエピソードからは曹操が部下の仕事に対し厳罰主義であったことが分かるが、それは当時の基準でやたらと厳しいというわけではなく、昨日の記事などに見えるように大臣クラスでさえも叱責を受ければ危害や屈辱を受けるという後漢の官僚世界ではそこまで飛びぬけた厳しさではなかったのかもしれない。






ただ、それを命に代えて拒もうとした何夔や、大臣に加えられる屈辱を和らげようとした左雄のように、そういった後漢の伝統的とも言える風潮を良しとしない者もまたいたようだ。




その流れを汲む者からすれば、曹操の扱いは手荒で古臭いタイプに見えたのかもしれない。