曹氏の仕官

大魏之興、于今二十有四年矣、觀五代之存亡而不用其長策、覩前車之傾覆而不改於轍迹。子弟王空虚之地、君有不使之民、宗室竄於閭閻、不聞邦國之政、權均匹夫、勢齊凡庶、内無深根不拔之固、外無盤石宗盟之助、非所以安社稷為萬世之業也。且今之州牧・郡守、古之方伯・諸侯、皆跨有千里之土、兼軍武之任、或比國數人、或兄弟並據。而宗室子弟曾無一人輭廁其輭、與相維持、非所以彊幹弱枝備萬一之虞也。今之用賢、或超為名都之主、或為偏師之帥、而宗室有文者必限小縣之宰、有武者必置百人之上、使夫廉高之士、畢志於衡軛之内、才能之人、恥與非類為伍、非所以勸進賢能褒異宗室之禮也。
(『三国志』巻二十、広平哀王儼伝注引「六代論」)


昨日の記事で紹介した曹冏「六代論」の一節。





魏王朝はそれまでの国家戦略に学ばず、皇室の子弟を空虚な土地の王するだけで実権を与えなかった。



また、州牧や太守も宗室の子弟は就任していない。



そして、賢人を登用する際には、大都市の長官や一軍の長に抜擢することもあるというのに、宗室の中で才能ある者は小都市の長官や、百人隊長程度にしかなれない。






曹冏によればそういった問題が起きているのだという。



つまり魏の宗室に対する抑制策は宗室が官僚に登用される際にも適用されていて、郡や州の長官になれないであるとか、優秀な人材なら与えられるような抜擢が受けられないであるとかの不公平が生じているのだ、ということらしい。






言われてみると、曹操時代から働いている曹休のような者を除くと、曹氏で太守や州刺史になっている者というのはすぐには思いつかない(思いつかないだけでけっこういるかもしれないが)。




漢でも劉氏は要地の太守にはなれないなどの制限があったようなのだが、魏はそれを更に強化していたということだろうか。





曹冏は宗室と言いながら王侯の地位を与えられるわけでもなく、それなりの能力がありながら抜擢も受けられないという、不自由ばかり目立つような立場だったのかもしれない。